
梅田のTSUTAYAが閉まったらしい。
これにはほんとにびっくりした。梅田のTSUTAYAといえば、関西で最大規模のレンタルDVDが置いているだけでなく、激レア映画のVHSも置いていることで有名だった。
世の中には名作なのにDVDが出ていないとか、プレミアがついている作品がある。
例えば
ファスビンダーの作品「マリア・ブラウンの結婚」「リリー・マルレーン」
ソクーロフの作品「セカンド・サークル」「ストーン/クリミアの亡霊」
その他に「エレメント・オブ・クライム」「變臉この櫂に手をそえて」「シベールの日曜日」等、映画ファンなら見とけって言われるのになかなか入手するのが難しい作品のVHSをこの梅田堂山店に置いていた。
こんな店は滅多になかった。
あとは渋谷と新宿(他にもあるかもしれんけど)のTSUTAYAか京都ふや町タウンか。
なぜかVHSを取り扱う店の多い京都は置いといて、東京大阪のような大都市に行かなければ(京都も田舎ではないが)この手の映画を借りることはできなかった。だが一番行きやすくて、今度旅行に行ったときにでもどうにかして借りようかと思っていた梅田の店舗も潰れてしまった。
こういうとき、田舎に住んでいることが嫌になってくる。
田舎の選択肢の少なさ
話はちょっと変わるが、こんなツイートを目にした。
都会と地元の文化格差を感じるのは個人の尺度でそれぞれだが、例えば見たい映画にどれだけ簡単にアクセスできるかなんていうのもあり、何が言いたいかというと、見た人間ほとんどが絶賛する映画『タクシー運転手』を見るためには越県しなければならない当地はクソ。
「タクシー運転手」はこの前見に行ったが、福岡ではTジョイ博多でしかやってなかったし、次の週からはレイトショーオンリーとかになりそうだったので、バタバタ見に行った。
地方在住者は、見たい映画を上映している映画館の選択肢が少なすぎる。
僕はバスに乗って片道80分かけて博多に行って見ることもあるが、北九州市近郊の田舎ですらこの調子なんだから、辺境だともっと時間がかかるだろう。
また田舎だと、近くだったとしても車じゃなければいけないようなところでしかやってない場合もある。電車で行ったら1500円くらいするのに、映画館の周りには何もない。どう考えても博多に行ったほうがいい。
映画好きのユートピア・東京
地方ではこんな感じだが、東京で見れる映画の量はえげつない。
昔の記事でも書いたのだが、僕はこう思ってる。
「東京で観ることのできる映画を100とすると、関西では40、福岡だと5くらいだな」と。
「いや、そんなことはない。」と言ってる都会在住の方は、そもそもどれだけ恵まれているかしらないだけだろう。
タブレットや配信サービスで見ることができても、映画ファンならみたい作品は都会に住んでいたほうがどう考えても見れる。
まあ、これはさっきも書いたことだけど、新宿と渋谷のTSUTAYAに激レア名作映画のVHSを置いている。
この二店舗さえあれば、かなりの映画を見ることができる。
さっきあげた梅田で借りれる作品に加え、「探偵<スルース>」や「プロビデンス」なども置いている。
余程の映画好きじゃないと知らんかもしれんけど。
また東京では、僕が見たいけど見れないと思っていた作品を多く名画座で上映していたりする。
例えば、今年の3月頃、DVDがほとんど廃盤のソクーロフ監督作をイメージ・フォーラムで特集した。
新文芸坐では、DVDがプレミアついていたり、VHSでしか見ることのできないような作品を多く上映している。アンジェイ・ワイダ監督の抵抗三部作や勅使河原宏監督の「砂の女」(最も今僕が見たい映画の一つ)、神代辰巳監督の「青春の蹉跌」など、福岡でやってたなら即見に行くような作品をしょっちゅうやっているのだ。
こんな映画館が都内に結構ある。ミニシアター系の映画館は福岡だと数箇所しかないし、そんな激レア映画を扱うのはシネラだけだろう。
あんまり知られていないかもしれないけれど、東京って、スゴイのだ。
最早世界トップレベル。タランティーノも絶賛してたとよく聞くし。
大阪もまあまあ見れる
大阪もユートピア東京に比べれば劣るが、たくさんの映画を見ることができる。
大学時代はよく見に行った。もっと名画座に行くべきだったなと今では思うけど。
選択肢がとにかく多かった。梅田のシネリーブルでタイムスケジュールが合わなくても、三宮に行けば見に行くことができたし、見逃しても公開二ヶ月後くらいに上映してくれる映画館もあった。
しかし地方に帰ってから気軽に映画を見にいけなくなった。ミニシアター系は基本的に博多でしかやってないし、すぐ上映が終わったりする。そのため、大阪に行ったときにミニシアター系映画を見たりすることもある。「否定(と肯定)」や「戦争のはらわた」のリバイバルとかは旅行時になんばや京都で見た。
格差がすごいのだ。
持たざる者の原動力
地方に住んでいた場合、東京に住んでいる映画好きの知識には敵わない。
そもそも僕は映画はなるべく劇場で見たいタイプなので、東京に住んでて生きる金に困ってなかったら、絶対名画座にめちゃくちゃ通ってる。今とは比べ物にならないくらい大量の映画を見ることができてるはずだ。
filmarksを見ていると「なんでこんな映画見ることできてんだよ!」っていうようなレビューもあったりするが、僕が東京に住んでたら多分変にエネルギーを使わなくてもそういったレアな映画もたくさん見れてる。
だから、田舎に住んでる人にとって、東京に住んでる映画好きは異国の人のように思えてくる。こんな人には敵わない気がする。
だが、そういった格差があるからこそ得られるエネルギーもある。
自分も完全にこれですね…
僕が兵庫で中高浪過ごした時は、ギリギリツタヤの発掘良品がそこまで整備されてなくて、VHSでしか見られない作品はほぼほぼ上京してから見た
文化的にかなり貧しかったけど、その悔しさが今のシネフィル生活の原動力になっているんだなあと時々思います
こんなツイートを見かけた。
原動力。
思えば、都心に近い関西に住んでいたときはこんなこと思いもしなかったが、田舎に住んでいる今のほうが映画を見たい欲望は増してきている。
なんで関西いるときに見とかなかったんだよ!って作品も見つかったりするが、見ることができる機会を伺って見れば見れなくもない作品も多い。
レア名作映画を見れなければ、待ちわびるエネルギーを違う名作映画を見るエネルギーに回せばいい。
田舎でも、限られた手段を用いながら、着実に映画に詳しくなることができる。
爆発的なエネルギーになるかもしれないと思いながら、僕は映画を見続ける。