前書いていた『東京裁判』の記事の下書きをリライトしてアップします。4ヶ月前に書いていた記事です笑

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『東京裁判』を見た。近くの劇場の上映には見に行けそうになかったので、大分のシネマ5まで行って見た。

結論から言うと、非常によく出来た作品であり、絶対に日本人や日本の歴史に関心を持つ人ならば見たほうがいい作品だ。この映画を数回見れば日本近現代史の大まかな流れを理解し、記憶することができるだろう。歴史的資料価値はもちろん、初心者が歴史を学ぶ学習資料としてもおそろしく完成度の高いドキュメンタリー映画だ。

ただこの映画を絶対にスクリーンで見なければならないとは思わなかった。むしろこのドキュメンタリーが輝くのは映画館ではなく、Netflixなのではないかとも思う。非常に退屈させないつくりになっていてわかりやすいドキュメンタリーであったし、Netflixなどで配信されるのであれば僕は何度か見返すだろう。だけど、映画館で真っ暗闇の中で格闘するにはあまり向いていないと思った。

『東京裁判』あらすじ・作品情報

「人間の條件」「切腹」の名匠・小林正樹監督が、戦後日本の進路を決定づけたともいえる極東軍事裁判・通称「東京裁判」の記録を、膨大な映像群からまとめあげた4時間37分におよぶ歴史的ドキュメンタリー。

第2次世界大戦後の昭和23年、東京・市ヶ谷にある旧陸軍省参謀本部で「極東国際軍事裁判」、俗にいう「東京裁判」が開廷。その模様は、アメリカ国防総省(ペンタゴン)による第2次世界大戦の記録として撮影され、密かに保管されていた。50万フィートにも及んだ記録フィルムは25年後に解禁され、その中には、法廷の様子のみならず、ヨーロッパ戦線や日中戦争、太平洋戦争などの記録も収められていた。

それらの膨大なフィルムを中心に、戦前のニュース映画や諸外国のフィルムも交え、小林監督のもと5年の歳月をかけて編集、製作。戦後世界の原点をひも解いていく。

映画.comから引用

東京裁判がどのように開かれたのかがわかる歴史的資料としての価値もある、4時間半超の大作ドキュメンタリーだ。内容的にものすごく難しそうなイメージがあったので、ちょっと日本史の教科書をパラ見したりとかして見に行った。ほとんど覚えてなかったけど。だが、そこまでする必要はなかった。

『東京裁判』感想

おすすめ度 87/100

日本人なら見るべき映像。ただ映画館で見るべきなのかというと......。

「よく分かる近現代史」

この映画は一言でいうと、「よく分かる近現代史」。東京裁判を軸に日本の近現代史を掘り下げるドキュメンタリーだが、中学程度の知識量でも理解できるように作られているのが特徴。そしてデジタルリマスターされたからなのか、ナレーションの声が非常に明朗で聞き取りやすい。ナレーションの内容や構成も非常に簡潔でわかりやすく、「五・一五事件」とか「ポツダム宣言」みたいな言葉をかすかに覚えている程度の人でも理解できるように作られている。

歴史的に貴重な東京裁判の映像が映し出されるが、その合間合間にわかりやすく、高校日本史程度の近現代史を掘り下げていく。そして東京裁判がどういったものなのかを非常に中立的な立場から解剖する。戦勝国による裁きだったことだけでなく、ネトウヨ大好きパール判事の日本無罪論にも触れ、東京裁判の問題性にも触れつつ、日本の人道的な罪にも触れる。

中立であるからこそ見える、「なぜ右翼的な考えが現代の日本を跋扈しているのか」についても考えさせられるように作られているのが特徴だ。この映画を何度か見返せば、日本近現代史が頭の中にインストールされるだろうし、当時の非常に貴重な映像も見ることができる。学校で教育用ビデオとして見せるべき作品だった。

映画のオトシマエ

パンフレットで深田晃司監督がこの作品について、映画の歴史に触れた後に『意志の勝利』が第二次世界大戦の引き金になったことと比較して述べていたことが印象深かった。

だからこそ、『東京裁判』という映画は作られなければならなかったのだ。映画が加担した過ちを、映画によって検証し、公共圏に対して再び開くこと。それこそが極東国際軍事裁判の可否を問うこと以上にこの映画が内在する歴史的価値であるだろう。

公式パンフレット(49ページ)より引用

映画(『意志の勝利』に代表されるプロパガンダフィルム)が引き起こした戦争の落とし前を、『東京裁判』が担っているということだ。そしてそれは2010年代、大衆扇動装置が映画からTwitterなどに代表されるインターネットメディアに切り替わって各地で極右政権やポピュリズム政権が台頭している時代性も象徴している。この映画を見て昔を振り返らないと。そう思わされるタイムリーな作品だ。

だが僕には、この作品には政治的なタイムリーさだけでなく、ある種「映画文化の終わり」という時代性も、象徴しているのではないかと思った。

戦争当時の一般市民と同様に映画館の暗闇で、この映画は見つめられるべきである。

公式パンフレット(49ページ)より引用

深田監督は、このように述べていた。これからもこの作品は劇場で上映されるべきだと。だが、僕としては、この作品を映画館の暗闇で見る必要性を感じなかった。映画館じゃなくてもいいと思ってしまったのだ。

映画の終わり・Netflix

今回僕は、絶対に見逃すものかと上映期間中にスクリーンで見ることを選択した。だけど正直、決してスクリーンでなくてもいいと感じた。NHKやNetflixが製作するような良質なドキュメンタリーのような作品だったからだ。

このドキュメンタリーはスッとわかるように制作されていて、Netflixで注目されてそうな、質の高いドキュメンタリーだった。それが4時間半、休憩をはさみつつスクリーンで映し出される。だが、映画館のスクリーンで見るのが果たして適正なのかどうかと言われると、疑問に感じる。

良質なドキュメンタリーが真っ暗闇の中のスクリーンに映し出されているさまを見てずっと疑問に思っていた。もう今の時代、この映画を4時間半も座ってぶっ続けで見る必要などないんじゃないか。Netflixで全4回、1時間程度のドキュメンタリーとして配信されたほうが、どう考えても理解しやすいし集中できるだろう。

日本映画を代表する名匠が制作した『東京裁判』という作品は、今の時代にも通用するようデジタルリマスター化され、リバイバル上映された。むしろ昨今のNHKのドキュメンタリーに影響を与えているという側面のほうが強いのだが、その映像は極めて、実力のあるテレビ制作会社が勢力をあげて制作したかのような明快なドキュメンタリーで、映画館で見なくてもいいと思えるような作品として蘇っていた。

映画の落とし前をつけた『東京裁判』という映画は、「映画」というメディアの終わりをも彷彿とさせる。もう今の時代、「Netflixでいいじゃん」と思ってしまうのだ。

歴史的資料価値の高い映像を用いて明快に日本近現代史を理解できる東京裁判のドキュメンタリーとして、非常に完成度の高い作品だった。だが、この映画が蘇ったさまは極めてNetflix的で、スクリーンで絶対に見なければならない作品だとは思えなかった。

まとめ

『東京裁判』、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』、そして『サタンタンゴ』。

3時間以上の映画が度々劇場で公開されて、Netflixを見ないような高齢者がこういった映画をこぞって見に行くが、果たしてそれが映画館で上映されることに意味はあるのだろうか。

僕は長時間の映画が上映されるときは基本的に映画館に観に行く。2時間半以上の映画は、スマホが扱えない状態で集中してみたいのに加えて、映画館で映画と格闘することが好きだからだ。だが最近の長時間映画を劇場で見ると、「これ劇場で見る必要ないんじゃ......。」と思ってしまうような作品も多い。

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、「図書館がこんなこともやってるの?」と思わせるような文化イベントが度々登場し、それを見に来た、「知的なものに触れるために図書館の高尚な文化イベントに参加したものの、高尚な内容に退屈さを感じてしまい寝てしまう」観客の姿が映し出される。その様をスクリーンから見る観客も同時に「知的なものに触れるためにフレデリック・ワイズマンの長いドキュメンタリーを見に来たものの、高尚な内容に退屈さを感じてしまい寝てしまう」。そういう体験をさせるというメタ的な映画だった。監督意図してるかわからないけど笑

こういったドキュメンタリーを3時間以上スクリーンで格闘することに意味はあるのだろうか。今の時代、Netflixなどで何分割かして配信されていたら、映画館で見る意義などないのではないだろうか。Netflixとかのほうがどう考えても集中して見れる。

サタンタンゴ』にはスクリーンで見る意味があった。7時間半という時間が短く感じてしまうような劇映画で、映画内のゆったりとした時間のペースに支配されながらも、スクリーンを見つめ格闘することには意義を見いだせる。だが、ドキュメンタリーの場合、スクリーンで見る必要性を感じない。Netflixならわからない単語が出てきて頭の整理が必要なときには一時停止ができるし、置いてけぼりにされて寝てしまいそうなときは見返せばいい。だが、スクリーンで見たらそれができない。

正直、こういった情報量の多いドキュメンタリー映画は映画館で見るのに向いていない。『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は人混みで集中できなかったし寝てしまった。

僕としては、こういった作品はバンバンNetflixなどの動画配信サービスで配信してほしい。映画関係者や映画好きが普通の人にもしっかりと紹介していけば、ちゃんと需要はあるはずだ。現状Netflixはそうやって良質なドキュメンタリーを制作し配信している。

『東京裁判』も、動画配信サービスで配信されていて、日本近現代史を知る良質なドキュメンタリーとして知られるようになれば、映画館という装置を必要とせずとも多くの人がこの作品を気軽に見ることができる。

映画館で4時間ぶっつづけで見て寝そうになりながら見るべきなのか、はたまた、全4部の長編ドキュメンタリー番組としてNetflixなどの動画配信サービスで配信されるのを家でまったりと見るべきなのか。暗闇の劇場で寝そうになりながら齧りついて、メモも取りづらい状態で見る必要はないのではないか。

この映画が劇場公開されたのは、日本の先進国凋落を象徴する、現政権やネットにより台頭してきたポピュリズム政党のことを考えるうえでタイムリーだからというのもある。だが、それだけでなく、Netflixという文化が映画界をも席巻しつつある世の中における「映画」の最後のあがきを象徴している。ただ、その勝敗はどう考えても明確だ。

 

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