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映画鑑賞が趣味と言える基準とは何か?映画ファンなら一度は考えたことがあるだろう。

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映画を年間何本見ていれば、自分は「映画通」と言えるのか。週に3回映画を見るような感じだが自分は映画が趣味の人間と言い切っていいのだろうか。

どれくらいの量から映画を趣味として言っても恥ずかしくないのだろうか。考えてみた。

映画鑑賞の本数が知識や理解にどう影響するのか。さらに、映画鑑賞のバランスや他の活動との兼ね合いについても触れながら、その基準を探っていく。

僕はコロナ禍の前は劇場で100本近く映画を見ていた。配信などで見た作品を含めれば200本くらいか。最近は少なくなったが、年間100本、200本くらいの本数を見るというのを続けてきた。そんな僕が感じる映画が趣味といえる本数を考えてみた。

Contents

1. 映画の見方がわかってくる本数は

個人的な体感だが、人生で見た映画が1000本を超えたあたりから、映画の見方や評価の基準がわかってくる気がする。監督や俳優、おおまかな内容などが答えられるようなくらい頭に入っている状況の作品が1000を超えていたら、映画にかなり詳しくなっているような気がする。

人生で見た映画を、何も水に連想できるとは言わないまでも映画のタイトルの一覧を見てしらみつぶしにしていったら1000本いってるみたいな状況であれば、知識的な面でも映画が趣味と言ってもいいきれるくらいになっていると思う。この段階になると好きな映画監督が出来ていたり、「この監督の作品は〇〇な話が多いな」というような簡単な分析ができるようになっているはずだ。

※作品選びをちゃんとすればもっと少なくてもいいのかもしれない

僕の場合実感として1000本くらい見たらかなり感性が鍛えられると思う。

とはいえど僕の場合はかなり寄り道をした。高校生のとき僕はバカでネットの情報を信じていたのでYahoo映画で高得点をとっていた『ソードフィッシュ』を映画史に残る名作と思って見たし『トランスポーター2』とかも1作目を超える重要作と思って見た。

今思えばアホとしか思えないのだが、こういう別に見なくてもいい作品はあまり見なくてもいいと思う。こんな映画を見るよりもっと見ておいたほうがいい作品はある。

一つのサイトだけでなく様々なサイトを見ること、映画に関する本を読んでみることで見ておいたほうがいい作品はわかる。正しく情報収集して、必見の名作映画をひたすら見るような感じであれば、もっと少ない本数でもいいのかもしれない。そうやってセレクトした名作映画数百本を繰り返し見ているような感じでも十分詳しくなれるのかもしれない。

まあでも、子どもの頃にネットの評判を鵜呑みにして肩透かしを食らった経験がなければ自分はもっとバカだったかもしれない。こればかりはわからない。

2.映画好きが年間で見る本数は?

さて、もっとわかりやすい基準として、年間見る本数を考える。映画が趣味というと、年間何本くらい見るんですか?とよく聞かれる。こういうときに何本くらいなら映画が趣味と言い切れるのか、考えてみた。

結論からいうと、3桁くらいだろう。

年間100本見ていれば、映画に対する知識がかなり深まる。月に8~9本、週に2本ほどのペースで映画を観ることになり、これにより自然と映画のトレンドや話題作、重要な監督作品に詳しくなれる。

年間100本を目標にすることで、映画に対する見識が広がり、映画談義にも自信を持って参加できるようになる。また、このペースで映画を観ることで、好きな監督やジャンルが増え、映画に対する興味や知識がどんどん深まっていくはずだ。先述のとおり、見る映画を調べるときは一つのサイトを鵜呑みにせずいろいろなサイトを横断すること、映画の本や雑誌などを参考にして選び100本くらい見れば、かなり詳しくなっているはずだ。

トレンドがわかる新作映画の本数

新作映画の場合はどうだろう。実際にそれくらい見ていた個人的な感覚として、年間100本劇場で見ると、その年の重要な映画はかなりカバーできる。大作からミニシアター系まで幅広く観ることで、映画業界のトレンドや話題作をしっかりと押さえることができる。ただし、すべての重要な作品を網羅するには難しい。アカデミー賞やカンヌで賞をとった重要作はだいたい見ているが、ミニシアターで地味にヒットしているような映画などは取りこぼしがあったりするというのが、この本数だと思う。

感覚的に、大作やミニシアター系の作品を含め、重要作をほぼすべてカバーできるようになる本数は、年間200本くらいだと思う。

雑誌などで紹介されているミニシアター系の映画とかもすべて見ようとしたら、年間200本くらいで取りこぼしはほとんどなくなると思う。

年間200本の新作映画を劇場で観たら、映画に対する理解と知識がさらに深まるだろう。

1日1本の目標

映画制作を目指している人には、新作旧作を問わず年間365本以上の映画を見ることがよく推奨されている。これくらい見ていないと映画監督になるのは難しいとも言われている。これは1日1本のペースくらいの本数映画を鑑賞することで達成可能だが、映画を制作するうえでは、それくらいのインプット量が望ましい。手塚治虫も毎年365本以上映画を見ていたエピソードは有名だ。

映画好きを名乗るならこれくらい見ておいたほうがいいのかもしれない。別に映画好きは名乗っていないのだがこんなサイトを運営しているのに最近見る本数が減って明らかに365本はいっていない僕としては耳が痛い。

バランスの重要性

とはいえど、500とか1000を超えていたら逆に危ないのかもしれない。映画の評論を書く仕事をしていて500はノルマとして見なければならないとかではなく、ただ単に映画が好きで年間数百本見ていますとSNSに書いている人は変な人が多い。

例えば僕は年間1000本以上映画を見てます!といっていた人をSNSで見かけたことがあるが、Twitterで投稿される感想文は支離滅裂なものが異様に多く意味不明だった。また、「移民問題を軽々しく描くな」とかいう、ネットで情報収集しかしていない浅薄で馬鹿なネトウヨが書くような一行感想を、移民問題を軽々しく描いていない作品に対し書いてあったりして、「映画を見ている量が多いひとのすべてが頭がいいわけではない」ということを思い知った。

映画は比較的知的な趣味だ。名作映画には歴史映画や伝記映画も数多くあるので、その映画を見て、評論や本を読んだりして史実とは違う点や評価された点などを調べるので、知見は増えるはずだ。

映画を1000本以上見ているのに頭が悪いというのは、映画だけを見ていて、本を読んだりして調べるということをする暇がないのだろうと考えられる。そんな見方を僕はしたくない。

まあでも、先程の彼の場合は「虚言」の可能性もある。映画を大量に見ているというキャラ付けをすればフォロワーが集まる。そして映画に詳しい人として仕事が舞い込んでくる可能性が高いのは言わずもがなわかると思うが、こういう仕事をしたいがために見ている映画の数を盛っているというケースも考えられる。

もしくは「映画を大量に見ている自分」という仮面を被ってそれに寄せられる映画好きが大量にいいねをしてくれることに快感を得ているだけなのか。とにかく言えることは1000本見ているといってる人は変な人が多いということだ。虚言の可能性もあるが、大量の映画を見ていたらその他の活動ができないのだろうと考えられる。

見る映画があまりにも多すぎると、読書ができないしドラマを見ることもできない。漫画を読むこともできない。

世の中には映画以外にも優れているエンタメはある。先述の映画を365本見ていたで有名な手塚治虫先生の代表作は読んだだろうか。今話題のドラマは見ただろうか。日本の歴史を知るために映画を見ているという人には、時代劇をたくさん見るよりも『光る君へ』や『鎌倉殿の13人』を見たほうが知見は増えるだろう。NHKが制作しているドラマやドキュメンタリーはもちろんのこと、その他の地上波テレビで放送されているものにも名作は数多くある。そういう作品に触れるような生活はしておいたほうがいいし、大量の映画を見るという目的のためだけに映画を見るだけの映画が趣味な人にはならないほうがいい。

まとめ

映画鑑賞の本数は、映画に対する知識や理解を深めるうえで重要な指標となる。年間100本を目安に鑑賞することで、映画に対する知識が豊富になり、さらに深い理解を得るためには年間200本を目指すことが理想的である。時間があるのなら1日1本くらい見ておいたら、結構いいと思うし、多忙な人でも見ている人はいる。

しかし、バランスを保つことも重要であり、読書や勉強の時間、その他のエンタメに触れる時間を確保することも大切。なので映画を趣味にしたいと思ってる人は年間365本を見るのを目標にするといいんじゃないでしょうか。

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