なんだろう、この……。今年のベストに入れたら負け感……。
こんなモヤモヤを抱えながらも劇場を後にした僕は、あることに気づいた。この映画、『全裸監督』とものすごく共通点が多いのだ。『全裸監督』も面白かったけど、なんかこれをベストに選んだら負け感がある……。という感じのする作品だった。なので今回はそのことについて書いていきます。
『ジョーカー』あらすじ・映画情報
あらすじ
「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気溢れる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか?切なくも衝撃の真実が明かされる!
TOHOシネマズ公式サイトから引用
作品情報
今回取り扱うのは、もう語り尽くされているであろう『ジョーカー』である。評価のされ方からして、2019年の作品で最も重要な映画と言っても過言ではない、映画史に残る作品だ。
クリストファー・ノーランが監督したバットマン映画、『ダークナイト』が現時点でゼロ年代を代表する名作映画として知られていて、その中でヒース・レジャー演じるジョーカーも映画史に残る名キャラクターになっている。そのため、本作『ジョーカー』のハードルは非常に高かった。『ダークナイト』のジョーカーを超えるのは不可能だと誰もが思っていたのだ。
だが、『ジョーカー』はその高いハードルを普通に飛び越えることに成功しており、作品の出来やジョーカー役の演技は『ダークナイト』と同じように評価されつつある。むしろ『ダークナイト』を超えたのではないかという声も聞こえるほど高評価だし、ホアキン・フェニックスが演じる本作のジョーカーも、ヒースが演じた『ダークナイト』版ジョーカーを超えているという声もよく聞く。
映画祭でお披露目されるやいなや、IMDbランキングで歴代ランキング(すべての映画のね)で現時点12位。4位の『ダークナイト』に匹敵するような、圧倒的高評価だ。おそらく、今年だけでなく、2010年代を代表するハリウッド映画のひとつには間違いなくなるだろう。そしてアメコミ映画初の、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した。
監督は『ハングオーバー』シリーズで知られるトッド・フィリップス。『グリーンブック』で今年アカデミー作品賞を受賞したファレリー兄弟と同じように、お下劣コメディで世間から認知されている映画監督だ。両作ともコメディ出身の監督が制作した作品だが、映画史に残るような評価のされ方をしている。
そんな『ジョーカー』、個人的に今年のベストに選んだら負け感が強かった。
『ジョーカー』感想
おすすめ度 77/100
1980年代ノスタルジーと(1970〜)1980年代映画の礼賛
よくできた映画だった。この映画が世間から絶賛されている理由もわかるし、非常にクオリティは高い。ブラック労働を描いた『モダン・タイムス』を見て笑う「上級国民」とか、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉を体現したかのように、病院にピエロ姿で出稼ぎに行ったアーサーが悲劇に見舞われる様を、ロングショットで喜劇のように撮っていたりしていて、ほんとによくできているなと思って見ていた。だが、見終わった後の印象は、そこまで強烈ではなかった。それはなぜなのか。感想を書いていきます。
『ジョーカー』と『全裸監督』
先に、最初に書いた両作の共通点について書いておこう。
『ジョーカー』も『全裸監督』も、
・ピカレスクロマン(アンチヒーローの物語)
・主演の演技力が評価の肝
・1980年代が舞台で、1980年代(『ジョーカー』は1970〜1980年代)映画的に作られている
・過去(の文化)の礼賛
という点だ。そして個人的に今年のベストに選んだら負け感が強い。なぜかというと、過去(の文化)の礼賛の要素があまりにも強すぎるからだ。
共通点を掘り下げてみよう。
『ジョーカー』の魅力としてまず挙げられるのはホアキン・フェニックスの演技である。善良な市民がピタゴラスイッチのように不運に見舞われ、悪のカリスマと化していくホアキンの演技が絶賛されている。そして『全裸監督』は監督本人にしか見えない山田孝之の演技が絶賛されている。主人公はアンダーグラウンドで輝くアンチヒーローで、そしてあろうことにどちらもブリーフ姿が印象的である。
加えてどちらも、奇遇なことに1980年代が舞台だ。1980年代はアメリカではレーガン政権下で格差が広がっており、日本はバブル経済で一番景気が良かった頃である。そして両作とも、当時の文化、もとい当時の国自体を礼賛している。この点は少々違っているが、
『ジョーカー』は1970〜1980年代の映画を礼賛していて、『全裸監督』は1980年代の国自体、バブル期だった頃の日本を礼賛している。
共通点というよりも、それは必然的なことなのかもしれない。2019年に公開された映画はそもそも、こういう作品のほうが圧倒的に多い。
新しいものというよりも、過去の名作を現代に蘇らせたかのような作品とその変化球が多いのだ。完成度は高いが既視感の強いものが多く、例えるならば、『スターウォーズ フォースの覚醒』的な作品ばかりなのだ。
『メリー・ポピンズ リターンズ』『グリーンブック』『ハロウィン』『ハッピー・デス・デイ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、そして『全裸監督』、『ジョーカー』である。
全裸監督
『全裸監督』はNetflixが満を持して制作した、和製『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とでもいうべきドラマだった。村西とおるという実在の人物の波乱万丈の人生をもとに作られたピカレスクロマンである。アングラカルチャーを扱い、それを舞台と同じく、1980年代の映画風に作られている。
僕はあまりドラマが好きではなく、2話くらい見てから辞めてしまうことが多いけど、このドラマに関しては一通り見た。僕みたいなやつでも夢中で一気見したくらいなので、かなり完成度は高い。
この作品を見ていると、僕はまず、『コミック雑誌なんかいらない!』を思い出した。1980年代の日本で作られた、昔日活がよく作っていたかのような、ギラギラとしていて過激な描写もある作品だ。1980年代を体験したことのある人、あるいは映画を見たことがある人にとってかなり懐かしさも感じさせるようなもの、逆にいうと既視感を感じさせる。
そしてこの作品には、バブル期の日本はすごかったという礼賛的なニュアンスも含まれている。よくできているものの、過去の文化の礼賛というものだけに留まっており、新しいものを生み出せていない。この作品の舞台のことを考えれば当たり前だと思えるが、2019年に、日本のコンテンツ業界が満を持して制作した作品として考えれば、あまりにも過去のものに頼りすぎている気がする。
日本文化もとい日本がイケイケだった頃のバブルの時代が、「Netflixが満を持して制作したドラマ」の舞台になっているのは、昔の日本はすごかったという安堵の気持ちに浸りたいがために作られているとしか思えない。完成度は高く、大予算がかけられていてリッチだ。だが、よくできたノスタルジードラマというだけで、新しいものを生み出したとは言い切れない。
ジョーカー
『全裸監督』みたいな作品は現状、映画館でかかることが多いので、Netflixオリジナル作品でこういった属性のものが出てくるのは珍しい。
だが、今年最大の話題作のひとつである『ジョーカー』は、むしろ『全裸監督』よりも露骨にそういう映画だった。1970年代〜80年代の映画のように作られた1980年代の話であり、アメコミ映画の皮を被ったスコセッシオマージュ映画だったからだ。
一見マーティン・スコセッシの『キング・オブ・コメディ』を再現したような本作は、同監督の『タクシードライバー』、シドニー・ルメットの『ネットワーク』などといった作品をミクスチャーさせ、今で言う「無敵の人」がどのようにできていくのかについて描いている。
この作品はそもそも、『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』を見ていることが前提のような作りになっているが、こういった映画を見たことのある人にとって見たことがあるシーンが多い。デ・ニーロがTVショーの司会役という時点で『キング・オブ・コメディ』を思い出さずにはいられないし、エレベーターでのパロディシーンや銃が登場する瞬間は「まんま『タクシードライバー』やん!」としか思えない。
そしてこれは検索してもなかなか出てこないので僕の思い込みなのかもしれないが、『フレンチ・コネクション』に似たシーンもあったりする。1970〜80年代映画を見たことがある人ならニヤリとしてしまうような小ネタが多く、かなりタランティーノ的な作品だった。
そしてデ・ニーロが重要な役柄を演じているという点で、スコセッシ映画を現代に再現しますよ!という意思がむき出しになっている。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でロバート・レッドフォードを出演させ、『大統領の陰謀』と同じようなテーマを扱ったことと同じように、『ジョーカー』では、『タクシードライバー』のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)のような人間がジョーカーになる様を描いた。
その結果、2019年に1970年代の映画を蘇らせたかのような作品と化していた。そして映画評論家からは大絶賛されている。
この様を見て、『全裸監督』と同じようなことを思った。『全裸監督』を中年が「昔の日本はよかったなー」と思いながらハマっている様と、『ジョーカー』を映画好きの中年がハマっている様は共通しているのではないか。
映画秘宝系の映画評論家はよく、「昔の映画(1970年代映画)はすごかったんだぜ」というような、娯楽性と社会性が合わさった昔の映画を礼賛することが多い。秘宝系の評論家が子供の頃によく劇場で上映されていた、かっこよくて、人の心を傷つけるような展開をするアメリカン・ニューシネマなどの作品だ。そしてそういった映画を現代に蘇らせたかのような『ジョーカー』は、かつて1970年代映画に熱狂した評論家に大絶賛されている。
だが、それはただ単に過去の文化の復興と言ってしまえばおしまいである。
どちらも非常に優れている作品ではある。でもそれって、過去の映画を見れば済むんじゃないの?って思ってしまう。完成度は高いものの、決して新しさを感じさせるものではない。これは、過去の映画を再現しつつ、ハリウッド映画史における暗部を「劇映画」という形で解決するという宿題のような作品だったタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とも共通している。『ジョーカー』や『全裸監督』も今年のベストに選んでしまったらなんか負けな感じがしてしまうのだ。
まとめ
これは僕がただ単に昔の映画を見慣れたことが原因なのかもしれない。だけど、はじめて『ダークナイト』や『バットマン・リターンズ』を見たときの衝撃を『ジョーカー』で体験できなかったのは少々残念だった。今を切り取ったかのような作品ではあるが、それは明らかに過去の映画を見ている人にとって既視感が強く、完璧だとは思わなかった。
でも、ものすごく完成度は高いです。この映画が若年層含め多くの人々に響いているのが不思議に思えてくるくらい昔の映画的ですが、普通におすすめです。ただ、期待しすぎないくらいがちょうどいいような作品でした。
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