最近の読書<br>宇野常寛「ゼロ年代の想像力」

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先日オウム真理教の幹部の死刑が執行された。

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僕がその同日に購入した本は、奇しくも地下鉄サリン事件に触れてから始まる。

先程「ゼロ年代の想像力」を読み終えた。なぜこの本を読んだのかというと、最近宇野常寛氏の動画を見ることにハマっているからだ。家にいる時はしょっちゅうPLANETSチャンネルを聞いている。いずれサロンにも入会しようと思うので(申し損ねた)「読んどかないとなあ」と思ったため、今回読んだ。

この本、実は一回図書館で読もうとして挫折している。勉強の息抜きに読もうとしたのだが、ますます疲れるような本だったためしばらく読もうと思わなかった。しかし、今回頑張って読んでみようと挑戦してみたら、意外と読めた。食いつくようにずっと読んでいたのだが、かなり難解なところも多く、咀嚼しきれていないところも数箇所ある。しかし、気になる章を読むだけでも楽しめるような評論本だった。

1995年。僕の生まれた年でもある。

この年は、90年代の中で最も象徴的な転換期だったりする。地下鉄サリン事件が起こったうえ、平成不況の長期化によって「がんばっても豊かになれない世界」「がんばっても、意味が見つからない」世の中になった。この時代を象徴する文化が「新世紀エヴァンゲリオン」。何もしないという「引きこもり」的態度をとった物語が消費されてきた。

しかし、2001年頃には「引きこもれば殺される世界」を描いたものがたくさん登場する。

「バトル・ロワイヤル」「リアル鬼ごっこ」などといったゲームに負ければ文字通り殺される作品や、「ドラゴン桜」のように受験をサバイバルにあてはめたような厭世観に満ちた作品が多く作られることになる。

その代表作が「DEATH NOTE」。この作品の結末は、

「夜神月を力で倒しても、バトルロワイヤルは終わらない」

だ。

決断主義からどう決別すればいいのか、すなわちどうすれば夜神月を止めることができるのか。碇シンジ(傷つけるのを恐れる90年代の引きこもり型)に退行せず、かといって夜神月(生き残るために周りを傷つけることも厭わないゼロ年代)にならずに、この世の中をサヴァイヴするにはどうすればいいのか。

それについてゼロ年代の優れたコンテンツから導き、来たる10年代の文化への課題を書いている。

という、なかなかむずかしめな内容だが、思ったよりもわかりやすかったりする。

僕が一番印象的だったのは宮藤官九郎論。

「木更津キャッツアイ」や「池袋ウエストゲートパーク」が代表作である彼はなぜ「地名」にこだわるのか。宮藤官九郎作品と街の関連性について書かれていた章が一番おもしろかったですね。

他にもいろいろな気付きがあって、とても面白い作品でした。

文庫本の終わりにあるロングインタビューがマジでロングなので「読み終わったー」と思ってなんとなく読みすすめていたら全然読み終わる気配がないほど長いうえ、結構むずかしめなので休憩を挟んでから読んだほうがいいです。

かなり読みごたえある作品ですが、おすすめですよ!

 

 

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