2018年・春の胸糞悪い3本の怪作<br>「聖なる鹿殺し」「ラブレス」<br>「ザ・スクエア 思いやりの聖域」

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博多に行ったときにミニシアター系の映画をよく見るのだが、今年は強烈な作品が多い。

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特に今の時期はアカデミー外国語映画賞候補になったような作品がよく公開されている。ミヒャエル・ハネケのハッピーエンドについては以前書いたが、この作品に似たような胸糞悪くなりながら見るような傑作が多かった。

僕が最も参考にしている映画評論家、町山智浩さんの詳しい解説を聞いてより理解が深まったので、この三本について書いてみる。

 

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア 

心臓外科医スティーブンは、美しい妻と健康な二人の子供に恵まれ郊外の豪邸に暮らしていた。しかし、彼らの特権的な生活は、ある少年を家に招き入れたときから奇妙なことが起こり始める。子供たちは突然歩けなくなり、目から赤い血を流す。そしてスティーブンはついに容赦ない選択を迫られることになる…。

この三作品の中で最もよさのわかりやすいものがこれ。

難解でわからないところはあっても、スリラーとして普通におもしろい。

パゾリーニの「テオレマ」(名作なのにDVD廃盤の激レア映画なのでまだ見れてません)のような話で、間違いなく影響を受けていると思う。簡単に言えば「ブラック・メリーポピンズ」だ。平穏な一家に一人の超現実的な存在が侵入し、災いをもたらす。

この映画は神のような存在から、主人公の一家が裁きを受けるようなストーリー。

主人公は実は倫理的な罪を抱えており、「目には目を、歯には歯を」の精神にのっとった裁きを少年から受ける。

一家がやべえやつに目をつけられる系スリラーなわけだが、このバリーコーガンが見るからにやべえやつ。微笑んでも見るからに目が笑ってない作り笑顔だし何考えてるかわかんない。そして駄々っ子のように主人公を呼びつける。なんでこんなやつを家に近づけようとしてるんだよ!「いいやつだから、みんな好きになると思うよ」なんて主人公言ってるけど絶対に思わないよ!

クソみてえなパスタの食い方

この映画の中で一番印象的なのは見るからにやべえやつのクソみてえなパスタの食い方

関連画像

「みんなこんな感じで食べるんだよね」とか言いながら食ってるが、「こんな食い方しねえよ!」と誰もが思うのにニコール・キッドマンが全然ツッコまないから「あれ?世間的にはこんな食い方すんのか?」とかすかに思ってしまう。この衝撃は写真で見てもわからないだろうから本編を見て確認していただきたい。しかも着ている服が白だから余計に観客の神経を逆なでする。こんな食い方で汚れないわけないだろ!どうなってんだ!今年見た映画の中でぶっちぎりでマッドネスなシーンでした。

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ラブレス

一流企業で働くボリスと美容院を経営するイニヤの夫婦。二人はそれぞれ、別にパートナーがおり、一刻も早く別れて新しい人生をスタートさせたいと思っている。問題は12歳の一人息子アレクセイのことだ。夫婦どちらも、新しい生活に息子を必要としていなかった。ある晩、二人は激しく罵り合い、お互いに息子を押し付け合い口論をする。翌朝、学校に出かけた息子はそのまま行方不明に。彼らは必死で息子を探すがーー


こちらはアカデミー外国語映画賞有力候補だったロシア映画。一番見た後どんよりするのはこの作品ですね。

愛の欠如

夫婦喧嘩を盗み聞きしていた少年、アレクセイは父も母も自分は不要だと思っていることを聞く。このことに大きなショックを受け失踪するのだが、父も母も世間体を気にしていやいや捜索活動をする。いるにしろ、いないにしろ、二人にとっては再婚に厄介な悩みの種。完全に邪魔者扱いされているのだ。

母(妻)からいきなり怒鳴られ、モヤモヤした状態でこの映画は始まるが、愛を感じない。また、父(夫)も会社での評判を気にするばかりで好感が持てない。加えて、クズ野郎としか思えないこともやらかしていて、再婚したとしても「大丈夫かおい…」と感じるような未来しか想像できない。

壊れた夫婦関係と親子関係。この欠けた愛は修復するのか。

ラストシーンについては伏せるが、テレビから聞こえてくるウクライナのニュース、ある子供の泣き声を聞いたとき、観客はなにを思うだろうか。

ザ・スクエア 思いやりの聖域

クリスティアンは現代美術館のキュレーター。洗練されたファッションに身を包み、バツイチだが2人の愛すべき娘を持ち、そのキャリアは順風満帆のように見えた。彼は次の展覧会で「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いた作品を展示とすると発表する。その中では「すべての人が公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにした参加型アートで、現代社会に蔓延るエゴイズムや貧富の格差に一石を投じる狙いがあった。だが、ある日、携帯と財布を盗まれたことに対して彼がとった行動は、同僚や友人、果ては子供たちをも裏切るものだった―。


昨年度のパルムドールを受賞したスウェーデン映画。今年からカンヌ系の映画もよほどのことがない限り劇場で見ようと思ったので鑑賞。現代芸術を皮肉ったコメディと思って見たら、ハネケチックな胸糞悪さでびっくりしました。

現代芸術を皮肉った映画といえばバンクシーが監督した「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」があるが、この作品のように「アートってなんなんだ?」と思わざるをえないような物語が展開する。

わけのわからない芸術をドヤ顔で見せられてなんてリアクションすればいいのかわからないような妙な空気感。簡単に言えばスベリ芸を終始見せられているような感覚にもなる。観客が凍りつくような黒い笑いだ。

矛盾

この作品では「矛盾」がよく描かれる。

タイトルにもなっている「ザ・スクエア」とは、副題の通り「思いやりの聖域」だが、この芸術を発表前にスリに遭い、犯人に「財布を返せ」と脅迫する。でも犯人の住んでるマンションは特定できても部屋が特定できないからすべての部屋のポストに脅迫文を投稿する。
思いやりのかけらもない。

一夜をともにした記者の女性とはほとんど会話をしないし、名前は忘れる。
思いやりのかけらもない。

そして予告編でも出ている通り、広告代理店に任せた結果炎上マーケティングに則ったyoutube動画で大炎上。物乞いが爆発する。
思いやりのかけらもない。

この主人公だけではない。この作品にでてくる多くの人が見て見ぬふりをする。
特にクライマックスのシーンには戦慄する。「は?」としか思えないスベリ芸を延々と見せられるような気持ちになる。このシーンで間違いなく観客は凍りつくのだが、果たして僕たちもこの場にいたら思いやりを持つだろうか。評論家の清水節さんが言っていた通り、

この映画の四角いスクリーンそのものがインスタレーションだ。

すなわち、「ザ・スクエア」とは今観客が見ているスクリーンのことでもあるのだ。

しかも、町山さんによると、ここに出てくるアートはすべて元ネタがあるとのこと。ラストシーンのあの男にも元ネタがいるらしくてびっくりした。

ミヒャエル・ハネケの世界観にブラックユーモアを配合し、現代美術を痛烈に描いた知的な風刺映画だ。見終わったあとはなんとも言えない気持ちになるので見る人を選びそう。でもこの体験はスクリーンでしか味わえないので、見といて損はないと思います。

 

三本とも歴史に残るような傑作なので、近くに公開劇場のあるかたは是非見られてみてはどうでしょう。

こういう映画って、レンタル開始されてもなかなか見る気起こらないので、劇場で見といたほうがいいですよ。

 

 

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