「ハッピーエンド」そんなわけない

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ハッピーエンド

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んな訳ないっすよね。だって監督ハネケなんだもん。

監督のキャリアを知っていれば

この作品が一筋縄ではいかないことはわかりきっている。

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あらすじ

カレーに住むブルジョワジーのロラン家は、瀟洒な邸宅に3世帯が暮らす。その家⻑は、建築業を営んでいたジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)だが、⾼齢の彼はすでに引退している。娘アンヌ(イザベル・ユペール)が家業を継ぎ、取引先銀⾏の顧問弁護⼠を恋⼈に、ビジネスで辣腕を振るっている。専務職を任されたアンヌの息⼦ピエール(フランツ・ロゴフスキ)はビジネスマンに徹しきれない。使⽤⼈や移⺠労働者の扱いに関しても、祖⽗や⺟の世代への反撥があるものの、⼦供染みた反抗しかできないナイーヴな⻘年だ。またアンヌの弟トマ(マチュー・カソヴィッツ)は家業を継がず、医師として働き、再婚した若い妻アナイス(ローラ・ファーリンデン)との間に幼い息子ポールがいる。その他、幼い娘のいるモロッコ⼈のラシッドと妻ジャミラが住み込みで⼀家に仕えている。

一家は、同じテーブルを囲み、⾷事をしても、それぞれの思いには無関⼼。SNSやメールに個々の秘密や鬱憤を打ち込むだけ。ましてや使⽤⼈や移⺠のことなど眼中にない。そんな家族の中、ハネケは祖⽗ジョルジュと疎遠だった孫娘エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)の再会に光を当てる。⽼いた祖⽗は、意に添わぬ場⾯ではボケたふりをして周囲を煙に巻きながら、死の影を纏うエヴのことも実はちゃんとお⾒通し。⼀⽅、幼い頃に⽗に捨てられ、愛に飢え、死に取り憑かれたエヴもまた醒めた⽬で世界を⾒つめている。秘密を抱えた⼆⼈の緊張感漲る対峙。ジョルジュの衝撃の告⽩は、エヴの閉ざされた扉をこじ開ける―――

(公式から引用)

ハッピーエンド?

この監督の最も有名な作品のひとつ、「ファニーゲーム」は

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「レクイエム・フォー・ドリーム」

などとともに、近年制作された有名鬱映画のひとつによく数えられる。

別荘で過ごす家族が

二人の若者に拘束され暴力を受ける。

ただそれだけの映画だ。

見たことなくてもそれくらいは聞いたことある。

そんな嫌な映画の巨匠として君臨し続ける

ハネケの最新作が「ハッピーエンド」

こうなるとどっちかなのである。

ハッピーエンドじゃないのか

あえてハッピーエンドなのかどうかなのだ。

カメラワーク

恥ずかしながらハネケの作品は初めて見るのだが、

撮影の仕方が特徴的で驚いた。

まずオープニング、スマホのビデオ撮影画面がスクリーンに映し出される。

洗面台で歯磨きをしている女性のルーティンを撮影者が実況中継しているようだ。

そして次にはペットのハムスターを映したスマホの画面に切り替わる。

母親の薬を餌に混ぜて少女が実況中継している。

痙攣。そしてピクリともしなくなった。

実験成功だ。

スマホの縦長画面からいきなり定点ショットに切り替わる。

工事現場を俯瞰するビデオ映像だ。

目がチカチカする。「バベルの塔」や「ヴィーナスの誕生」などの絵画を見るときのように。

ズームがない遠距離からの映像がスクリーンに広がる。

情報量がいきなり多くなって、どこを見ればいいのか一瞬わからない。

カメラを遠距離で固定してるように撮られた映像。

この映画はほとんどこんな撮影法で撮られている。

ゼロではないのだが、ズームがあまりにも少ない。

キャラクターを追う撮り方はあるが、

全身見えるような遠距離でのショットが異常に多い。

ほとんどカメラが登場人物に近づかない。

普段映画を見るとき気にしていても

全然撮影技法に気づかない僕ですら気づく。

この映画のカメラワークは特異だ。

わからない

この映像を見たとき観客はいろんな意味で置いてけぼりにされる。

描かれる人々の感情があまり理解できないのだ。

実際この映画、何が起こってるのか全く分からないシーンが数か所ある。

遠距離からなにか重要なことを話しているようなシーンがスクリーンに映るが

車のノイズなどで聞こえなかったりする。

わからない。

だがそれがこの映画の言わんとしてることのひとつでもあったりする。

SNSと家族の希薄

ハネケは日本のタリウム毒殺未遂事件に

インスピレーションを得たとインタビューで答えている。

実際I★JAPANと書かれているシャツを少女が着ているシーンは

このことを観客に対して明示しているのかもしれない。

この事件について、あまり覚えてなかったので調べてみたが、

こんなニュースあったなと思いつつも

あまりにも似通っていてびっくりした。

母親にタリウムを飲ませ日々の変化をブログにアップする少女。

この事件に影響を受けた本作で描かれていることは

家族関係の希薄化の恐怖である。

隣にいてもスマホ。

会話を全くしなくなった子供たち。

なにを考えているのか全くわからない。

そんな状況について描いているのだ。

ペットを毒殺する様を実況中継する様、

裏サイト的に同級生と思われる少年を侮蔑している動画を見る様、

ある秘密を知りながらも隠し通す様、

この少女の行動を見ても、何を考えているのかわからない。

彼女だけではない。いろんな人が何を考えているのかわからない。

そんな中でドラマが展開する。

この映画自体にどう読み取ればいいのかわからないシーンが多いのと同じように。

一筋縄ではいかない。

見終わったらゲッソリするような鬱映画ではないので

気になってる方は鑑賞してみてはどうでしょう。

思ってたよりもかなり見やすいアート映画です。

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